みやびのあれこれ草子

みやびです。日常生活でふと思ったこと、裁判の傍聴録、レビューなど、自分の好きなことを適当に書き留めてるブログです。何卒よろしくお願いします。

【なぜ?】私が卒業式で泣けなかった理由

今週のお題「卒業」にのっとって書いてみようと思います。まぁしょっぱなだしよくわからんからこういうネタ提供はありがたいね。

さてさて・・・私は春から花の高校生というわけです。でもその前に、ひとつの区切りを迎えたんですね。そう、「中学校卒業」です。「卒業」って響き。う~ん、涙腺を刺激する言葉ですね。学生における卒業ってのは、「別れ」というキーワードが必ずついてきます。そりゃ、赤ちゃんがオムツ「卒業」したらオムツと「別れ」ることになるけど、それはちょっと違うよね。んで、その「別れ」に我々学生は涙するってこと。でもね、私はそれに涙することができなかった。一体なぜなんだろーか?

言うてしまうとね、卒業のちょっと前ぐらいは一番みんなと別れることが淋しかったよ。卒業まであと何日とかいう日めくりカレンダーがめくられる度に憂鬱になったし。黄昏っていうのはこういうことを言うんだろうなぁなんて中二病くさいことも思った。ええ思いましたとも。でもそんな感情を春一番のように吹きさらってしまった出来事がありました。それが、「入試」だったのです。

私は、自分の一番志望する高校を受験することになっていました。その高校は校舎が10年前に改装されたばっかりのピカピカで現代的な出で立ちをしてて、制服が自分のどストライク。おしゃれなブレザー。これだけでもすごいのに、県内屈指の大学進学率と来たもんだ。中3の初めのほうから、私の心はその高校に決まっていました。

そしていざ、入試でその高校に行ってみたら、まあ何というか貫禄とか覇気とかそういった言葉で形容したような雰囲気がいたるところにたちこめているんですわ。体験入学でも一度来たことはあったが、やはり現地、本物の魅力というべきか、それに圧倒されました。「ここで3年間青春を謳歌するんか!すげぇ!」そ~んな感じで、こうなった以上、早く高校生になりたーい!という欲求が爆発的に増えたのであ~る。

そして最後に、仲間の存在がありました。ここでちょっと話は逸れるけど、ほら、みんな、いるじゃん。表面上仲良くしてるけど、察しあうところこいつマジきに入んねーなーみたいな奴。そういうのが中学にいたんですわ・・・んで、私の行きたい高校に行くのはうちの中学からじゃごく少数で、そいつもいなかったんだよね。しかも、その高校に行く「ごく少数」のやつらは、みーんな小学校時代からの付き合いの長い親友たち。もう、天に愛されたというくらいの恵まれっぷり。こんな好条件の下、私の心にこういうことが芽生えたんです。

「もう、中学校に残る理由は無い」と。

この心が、私が卒業式で涙を流さなかった一番の理由といったところでしょうか。別にね、私が特別薄情なんじゃあ無いんです。「次への期待」。これが私の春の感情を占める大きな部分でした。この感情は勿論ポジティブです。「ここで終わり」という気持ちがあれば、卒業式で涙は流れるのかな?どうでしょう・・・私にはまだわかりません・・・。

只、これだけは言えます。「現状に満足しないものは過去を振り返る」。よく、高校生なんかが中学校に戻ってきて母校を懐かしむなんていう光景をしばしば見かけますが、あれはいかんよ。現状に満足していない証拠。「今」が大好きで、「今」を精一杯生きようとしている人は過去を振り返る時間すらない。その時間が勿体無いぐらいに思っているかもしれない。だから、過去を振り返る前に現状、「今」と向き合おう。過去は変えられないけど、未来変えられる。使い古された陳腐な言葉かもしれないけど、もう一度、その意味を確認してみたいもんだね。

最後に、こんな名言を拾ったのでこれを書いて筆を擱かせていただきます。

 

           「卒業証書を捨てろ」

                        出光佐三[いでみつ・さぞう]

                       (出光興産創業者、1885~1981)

ありがとうございました。